岐阜ホームレス殺害事件~疑問、関心を持つことが理解への第一歩~

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こんにちは!kokaです。
先日、岐阜県でホームレスの男性が未成年の少年5人に暴行され亡くなるという事件がありました。

岐阜市ホームレス襲撃殺人事件

事件の概要については👇を参考にして下さい。


このニュースを見たとき、私は言葉も出ないほど酷い事件だと思いました。本当に本当に酷い。本当に本当に悲しい・・・。
犯人の少年たちは何故こんなことをしたのか・・・。私は知りたいです。
亡くなった男性が路上生活者だったからでしょうか?
何か恨みがあったのでしょうか?
例えどんな理由でも人の命を奪うことなど絶対に許されません。

なんで路上で生活しているんだろう?

私は学生時代に路上生活者の方を訪問する活動に参加していたことがあります。きっかけは本当に些細なことですが、“なんで路上で生活しているんだろう?”という疑問をもったことからでした。
日本では日本国憲法第25条“すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する”とされています。
それにも関わらず雨風のなか路上で厳しい生活を余儀なくされている人がいるのは何故なのか、とても不思議に思いました。
私が路上生活をしている方々と交流をして分かったことは”一人ひとりに事情がある”ということです。一括りに“ホームレス”“路上生活”といってもその一人ひとりは一人の個人であり、皆、其々の事情で路上での生活をしているということです。路上生活者のなかには、一度は路上から抜け出してアパートでの生活をし始めた方も多くいます。しかし、社会との繋がりがうまくもてずに再び路上生活に戻ってしまう方もとても多いのです。
路上には私の知らなかった“コミュニティ”があることも知りました。路上で生活をすることに関しては賛否両論あると思います。私も決して肯定はできません。しかし否定することもできません。

生活保護

例えば、路上でたくさんの猫を飼いながら生活している男性がいました。その男性は生活保護を受けて最低限の生活を手に入れる権利がありますが、路上生活をしています。

なぜなのか?

生活保護を受けて暮らす場合、猫は1匹までしか飼えません。その男性は自分の家族同然の猫たちと離れて暮らすことができず、路上生活を続けていました。猫のためにそんな厳しい生活をしているの?と思う人もいるかもしれません。しかし、その男性にとっては猫は家族なのです。そう考えると私は真正面から否定することはできないと思いました。心や気持ちの問題は簡単に解決できることではありませんし、人によって事の大きさも違うと思います。
また、他には路上生活者を訪問しているボランティアの人たちとの繋がりを楽しみにしている人もいます。路上生活をしていなければなかなか人と繋がることができない人もいます。皮肉なことです。
人って強い人ばかりではない・・・。
社会には色んな人たちがいて、本当はそれが当たり前で。
それなのに、強い人しか受け入れられない社会が今の世の中です。
弱い人に優しくなければ生きる資格ってないんじゃないかなって私は思います。
強い人しか生きられない世の中っていうのはとても優しさに欠如した世界だと思います。

何で?どうして?

今回の事件の犯人のなかには大学生もいたそうです。
大学で何を学んでいたのだろう。
大学に進学するまでにこの人は人としての大切なことを学ぶ機会はなかったのだろうか・・・ととても悲しくなります。
大学に通っていたのなら、社会的に弱い立場の人を憎み痛めつけるのではなく、社会から離された人をどうしたら社会に包摂して少しでも多くの人が幸せに暮らせるか”社会について考え、行動して欲しかったです。
この世の中で生きていくことはそれだけでとても大変です。
でも、“何で?どうして?”という疑問を時にはもち、他人に優しくできる人が増える社会になれば良いなと思っています。

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